於大の方、上洛する

関ヶ原の戦いに勝利した家康は天下人となりました。
「於大の方」は1602年(慶長7年)、家康の招きで京都に上りました。

1602年(慶長7年)、於大の方は、伏見城に家康を訪ねます。

 

このお城は「伏見桃山城キャッスルランド」の目玉施設として建設された、とある。

とはいえ立派な造りです。

 

歴史的、文化的な価値はないとのこと。
また、耐震基準を満たしていない恐れがあるということで、お城の内部には入れません。

 

歴史的に、考察されて建設されていないということか?

「江戸」の項でも触れましたが、皇居の伏見櫓とは明らかに違います。

 

しかし、そのたたずまいは、堂々と見える。

 

圓徳院。
北政所ねねの終焉の地。

 

「於大の方」は「ねね」を京都の邸に訪ねた。
ねねがこの圓徳院に移り住んだのは1605年(慶長10年)のことですので、於大の方が訪ねたのはここではない。どこかというと、「ねね」のことを調べていかなければならないので、ここでは割愛させていただきます。

 

圓徳院の北庭。
伏見城から移したものです。
故に、この庭は「於大の方」は見ていたかもしれない。

 

伏見城の化粧御殿も移築したらしいが、今はない。

 

圓徳院の前の坂を登ると、高台寺です。

1606年(慶長11年)の創建とある。
「於大の方」の死後であるので、ここには来ていない。

 

が、そのお庭は素晴らしい。

 

四季折々の風情を見せてくれるそうな。

 

傘亭にてお茶をご馳走になる。
期間限定での開催です。

 

重要文化財です。
伏見から移築したもので、利休の意匠による茶席とのこと。
於大の方はこちらで、お茶していたかもしれません。

「豊国神社(ホウコクジンジャ)」。

 

「於大の方」は「ねね」と一緒に来られたものと想像します。

 

明治に再建されたものですので、実際の場所とは違います。

 

因縁の鐘。

 

京都御苑。

広い~。

「於大の方」は御所に参内して後陽成天皇に拝謁しました。

ということで、「京都御所参観」に申し込みました。

 

京都御所の中も写真撮影OKです。
「御車寄(オクルマヨセ)」。
 皇居より参観者は気持ち少なめです。

 

「諸大夫(ショダイブ)の間」。
 控えの建物ということです。

 

「紫宸殿(シシンデン)」。
 最も格式の高い正殿。

 

「清涼殿」。
 永い間、天皇の日常の御生活の場として使用されていた。

 

「小御所(コゴショ)」。
 天皇が将軍や諸侯と対面される場所ともされた。

 

「御学問所(オガクモンジョ)」。
 必ずしも学問のためだけでなく、和歌の会などにも用いられた。

 

御池庭。

「御常御殿(オツネゴデン)」。
 京都御所の中で最も大きな御殿。

家康は母於大の方に孝養の限りを尽くしました。


参考 「於大の方と水野氏」(東浦町教育委員会)

 

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