於大の方、江戸へ

「於大の方」のゆかりの地を訪ね、江戸に来ました。

 

家康の国替にともない於大の方も江戸に移りました。

 

江戸城跡。

豊臣秀吉は家康に北条氏の旧領への国替を命じました。
1590年(天正18年)、於大も家康とともに江戸に移りました。

江戸城は現在の皇居の東御苑にありました。

 

江戸時代と現代。
その差は隔絶のものがあります。

 

本丸跡。

今は何もありません。

天守閣跡。

1657年の大火で焼失し、石垣だけが残っている。

 

手前部分が大奥でした。

話の筋道から外れますが、皇居一般参観に申し込みました。   
桔梗門から入ります。

 

富士見櫓。
大勢の参観者がいました

 

二重橋から正門を望む。

伏見櫓。
伏見城から移築してきたという。
京都の項で、伏見城のレプリカが出てきますが、やはりレプリカです。
宮内庁の職員の方も汗だくです。

宮殿と東庭。

富士見多聞と蓮池濠。

話変わって、東武鉄道浅草駅。

 

川間駅に来ました。

バスに乗り換え32分です。

千葉県立関宿城博物館。
千葉県野田市関宿に来ました。
久松利勝との長男、康元が関宿城主になりました。
家康が関東移封になったその年でした。

本日休館。
ここまで来て・・・。
そのおかげでか逆に、関宿の町を歩くことができました。

「於大の方」もたびたび訪れていたでしょう。

当時は相当な賑いであったようです。

関宿城址。
当時の本丸は河川改修のため、河川敷になってしまいまいた。

光岳寺。
関宿城址の近くにあります。

 

於大の方ゆかりの寺院です。

 

「於大の方」から脇道にそれてしまいます。
東武線沿線にスカイツリーがあります。
雲で頂上まで見えません。

 

平林伸一氏 模写
平林伸一氏 模写

1594年(文禄3年)母と自身の姿の肖像画を楞厳寺(愛知県刈谷市)へ納める。
1598年(慶長3年)豊臣秀吉没。
1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで家康が天下を支配する。

参考 「於大の方と水野氏」(東浦町教育委員会)

 

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