「於大の方」は徳川家康の生母です。
その生涯を見ていくと、戦国時代に生きた女性像が浮かび上がってきます。
あくまでも、「於大の方」にちなんだ場所にこだわって、その足跡をたどってみます。
於大は1528年(享禄元年)に緒川城で生まれました。
父は緒川城主水野忠政。
母は於富の方。
緒川城址。
愛知県知多郡東浦町緒川にあります。
今は土塁の一部が残っているだけです。
地名として、古城(フジロ)・羽城(ハジョ)・屋敷三区(ヤシキサンク)が残っています。
水野一族は1533年(天文2年)刈谷城を新築しました。
この城は、衣ヶ浦に突き出た台地に位置し、西は海に臨む背水の堅城で、衣ヶ浦の海上交通を支配する戦略的にも優れた城でした。
写真は刈谷城絵図。
刈谷から緒川方面。
緒川城の対岸の地にあります。
絵図によると、この辺りは海であったはずです。
刈谷城に入ります。
海岸からの道であったろうか?
ここをくぐっていくとお城の中に出る。
お城の中です。
本丸跡。
1533年(天文2年)、於大も父とともに刈谷城に移りました。
於大6歳の時です。
現在は亀城公園として整備されている。
刈谷城は亀城とも呼ばれます。
現在の住所は愛知県刈谷市城町です。
刈谷市郷土資料館。
大手門跡に行く途中にある。
旧小学校を再利用している。
「於大の方」が、育った地として親しまれている。
刈谷城大手門跡。
ただ石碑が建っているだけでした。
1541年(天文10年)、於大は岡崎城主の松平広忠に嫁ぎました。
於大14歳、広忠16歳でした。
松平家は今川方でした。
写真は岡崎城の中。
一方、水野家は時には軍事的に織田方に協力していたので、いわゆる政略結婚だったのです。
写真は岡崎城の中。
岡崎城は愛知県岡崎市康生町にあります。
鳳来寺。
愛知県新城市にあります。
戦国乱世に強い男子が授かりますようにと「峯の薬師」に祈願されたという。
峯の薬師
案内板には「松平広忠夫妻」と記してある。
この鳳来寺へは表参道から1425段の石段を登るのが、正式ですが、近くまで車で来れます。
また一帯が、ハイキングコースになっています。
話はちょっとそれますが、この鳳来寺山に「東照宮」があります。
三代将軍家光公が発願されたとある。
日光東照宮が有名であるが、日本三大東照宮の一つと言われている。
そして、1542年(天文11年)12月26日、於大は岡崎城内にて男子を出産しました。
於大15歳。
お城からこの坂を下ったところにある。
竹千代(後の徳川家康)の誕生です。
待望の嫡子の誕生で岡崎は沸きかえったとのこと。
翌1543年(天文12年)安産の祈願をした薬師如来を本尊として「大泉寺」を創建しました。
大泉寺は愛知県岡崎市中町にあります。
天文12年の西暦は1543年です。
それと、家康の誕生年は天文11年です。
於大の方の生誕地が「本刈谷」になっている。
「緒川城」の間違いです。